投稿者: pia.kake
イベントのご案内♪
「ピアノ指導者のための 生徒が長く続くコミュニケーション術」
日時:2025年11月25日(火)10:00~12:00
会場:御茶ノ水駅 徒歩6分 ※詳細はお申し込み後にお知らせいたします。
定員:8名(少人数制.先着順)
参加費:3,000円
対象者:40代前後のピアノの先生で、
・体験レッスンが入会につながらない
・生徒が数か月で辞めてしまう
・保護者から「塾や部活で忙しいので辞めたい」と言われたときに困る
といったお悩みを抱えている方。
これからピアノの先生を目指している方も歓迎です!
講師:礒山久理
ぜひ、お越しくださいませ。
お申し込みはチラシ記載のメールor公式LINE
HPお問い合わせからも受け付けております♪


河合楽器を飛び出し挑戦する理由――先生不足や若手流出に立ち向かい、音楽を仕事にできる未来を描く
河合楽器にいた方がよかったのでは?
そんなふうに聞かれることが、今でもよくあります。
ぼくにとって河合楽器での時間は、今も大切な原点です。新卒で入社し、地域の先生方やご家庭と触れ合い、ピアノという楽器の持つ力を間近で感じられたあの日々。営業という立場でありながら、生徒さんが初めて鍵盤に触れる瞬間や、家族で演奏を楽しむ光景に立ち会えることは、数え切れないほどの感動を与えてくれました。
特に心に残っているのは、ある小さな女の子がはじめてピアノを弾いたときのことです。まだ楽譜も読めず、音を出すだけで精一杯の姿でしたが、横で見守っていたお母さんが涙ぐみながら「この子に音楽を続けさせたい」とおっしゃったのです。その瞬間、ピアノは単なる楽器以上の存在であり、人と人とのつながりや人生の希望を生み出す力があるのだと実感しました。営業職として訪問していたはずの僕自身が、逆に大切なことを教わった気がしました。
また、先生方との出会いも忘れられません。地域に根ざして何十年も子どもたちに音楽を教え続けている先生方は、本当に尊敬できる存在でした。どんなに体調が優れなくても、生徒の前では笑顔でレッスンをされる。レッスン後には「生徒の未来を考えたら、多少の苦労なんて気にならない」と話す先生もいました。その姿を見て、音楽教育という仕事の尊さを何度も思い知らされました。
営業という仕事は、数字を追いかける側面があります。契約を取ることが評価の指標であり、日々の活動は常に結果に直結します。もちろんプレッシャーもありましたが、その一方で、ピアノを通じて家族や地域に喜びを届けられることが、ぼくにとっては何よりのモチベーションでした。実際に納品のとき、お子さんが嬉しそうに鍵盤を叩き、お父さんお母さんが写真を撮りながら笑顔を浮かべる光景を目の当たりにすると、「この仕事をしていてよかった」と心から思えました。
そうした日々を重ねるうちに、営業マンとして成果を追いかけるだけではなく、「音楽を通じて人の人生に寄り添うこと」にこそ自分のやりがいがあるのだと気づいていきました。契約や数字はもちろん大切ですが、それ以上に大切なのは、楽器をきっかけに生まれる笑顔や物語。それを間近で感じられた経験は、仕事を“数字の世界”から“人の世界”へと広げてくれました。
さらに印象的だったのは、音楽が世代を超えてつながっていく瞬間です。あるご家庭では、おばあちゃんが若いころから弾いていたピアノを修理し、お孫さんに受け継いでいました。「この音でまた家族が集まれるなんて幸せ」と話す姿に立ち会ったとき、音楽は単なる趣味ではなく、人々の生活の一部として息づいているのだと強く感じました。
こうした経験が積み重なっていったからこそ、ぼくにとって河合楽器で過ごした時間は「ただの仕事」ではなく、「人生の方向を決めた原点」になりました。音楽の力を信じたい、人の可能性を広げたい。その気持ちを確かに形づくってくれたのが、河合楽器での日々だったのです。

河合楽器での日々
河合楽器での日々は、間違いなく充実していました。営業成績が上がれば上司に褒められ、契約を決めたご家庭からは「ありがとう」と感謝の言葉をいただき、地域の先生方からも「君が来てくれて助かるよ」と頼りにされる。社会人として、そして一人の人間として、人の役に立てているという実感を日々味わえていたと思います。新卒で社会に出て不安ばかりだった僕にとって、それは大きな励みであり、自信を育ててくれるものでした。
しかし、その裏で静かに心に重くのしかかる現実がありました。どんなに頑張ってピアノを届けても、教える先生がいなければ意味がない。地方に行けば行くほどその傾向は強く、高齢の先生が一人で何十人もの生徒を抱えているような地域に出会うことも珍しくありませんでした。新しい生徒を迎えたい気持ちはあっても、先生自身の体力や時間には限界があり、結局「せっかくピアノを買ったのに教わる場所がない」という声を耳にするたび、胸が締めつけられるような思いがしました。
その光景を目にするたびに、頭の中に浮かぶのは「自分の営業活動は誰のためになっているのだろう」という問いでした。もちろん売上は上がります。会社にとっても成果となり、目の前のご家庭も喜んでくださる。けれども少し長い目で見れば、地域の音楽教育そのものは縮小し、やがて子どもたちがピアノに触れる機会すら減ってしまうのではないか。そんな矛盾に気づいてしまったのです。
夜、布団に入っても眠れない日が続きました。契約が決まった日の達成感と同時に、「このままでいいのだろうか」という違和感が胸をよぎり、何度も寝返りを打ちながら答えを探しました。上司や同僚に相談すると、「それは仕方ないことだよ」「自分の仕事を全うすればいいんだ」と言われました。その言葉は確かに正論でした。会社の一員として与えられた役割を果たすことは大切ですし、その積み重ねで社会は回っています。
けれども、どうしても心の奥底では納得できなかったのです。なぜなら、僕が本当に向き合いたいのは「目の前の売上」ではなく「未来の音楽教育」だったからです。今の活動を続けることで、数年後や十年後に子どもたちが安心してピアノに触れられる環境が残るのか――そう考えたとき、現状のままでは難しいと直感しました。
日々の仕事をこなしながらも、心の奥底では「このままでいいのか」という問いが消えず、気づけば電車の中でも、商談の帰り道でも、頭の中で同じ疑問を繰り返していました。成果を出せば出すほど「数字の先に未来はあるのか」と考え込み、笑顔の裏で胸の重さを隠す自分に気づくようになったのです。
やがて「安定を手放してでも課題の根本に挑みたい」という思いが日に日に強まりました。会社に残るという選択肢は安全で、周囲から見ても堅実な道に見えたでしょう。それでも、「見て見ぬふりをして生きていく自分」と「不安でも挑戦を選ぶ自分」を比べたとき、後者を選ばずにはいられませんでした。あの日、心に芽生えた違和感を無視すれば、一生後悔するだろうと感じたからです。
だから僕は挑戦することを決意しました。安定した環境から飛び出すのは恐怖でもありましたが、それ以上に「根本に向き合わなければ未来は変わらない」という確信が背中を押してくれました。その選択には迷いや葛藤もありましたが、一歩を踏み出した瞬間から視界が開け、進むべき道がはっきりと見えたのです。この決断こそが、今の僕を形づくった大きなターニングポイントだったのです。

立ちはだかる音楽業界の構造的な問題
第一に、若手人材の不足です。音楽大学を卒業しても、ピアノの先生や指導者として活動を続ける人は年々減っています。理由のひとつは「生活が安定しない」ことです。どれほど才能や情熱があっても、毎月の家賃や生活費を払うことすら難しい状況では、長く続けるのは難しい。結果として、多くの若者が「夢を追い続けたい」という思いと「現実的に生きていかなければ」という狭間で葛藤し、最終的には一般企業に就職する道を選んでしまいます。かつて音楽を愛して学んだ人材が、業界の外に流出してしまう現状は、将来に大きな影響を与えかねません。
第二に、収入面での不安定さがあります。ぼくが出会ったある音大卒の女性は、「本当は子どもたちに音楽を教えたいのに、生活のためにアルバイトを三つ掛け持ちしている」と打ち明けてくれました。昼はピアノ教室、夜は飲食店、休日は家庭教師という生活。情熱があっても、これでは体力も気力もすり減ってしまい、やがて音楽を続けること自体が難しくなる。演奏家として活動を続けるにしても、ホールの出演料やコンクールの賞金だけでは生活できず、別の収入源を探さなければならないのが現実です。
第三に、働き方の選択肢が限られていることです。音楽を学んだ人がキャリアを築く道は「演奏する」か「教える」か、ほぼこの二択に固定されています。それ以外の仕事に就くと「せっかく音楽を学んだのに活かせていない」と周囲から見られたり、自分自身が後ろめたさを感じてしまったりするケースもあります。この「狭さ」が、業界全体を閉じた世界にしてしまっているのです。たとえばIT業界やデザイン業界では、副業やフリーランス、スタートアップへの参画など柔軟な働き方が広がっていますが、音楽業界ではまだそのような選択肢が十分に整っていません。
これらの問題は決して一部の人だけの悩みではなく、業界全体、さらには社会に広く影響を及ぼすものです。若い人が音楽の道を諦めれば、指導者は減り、子どもたちが音楽に触れる機会も減っていく。先生が疲弊すれば、地域から音楽の灯りが消えていく。つまり、個々の悩みのように見える課題は、やがて社会全体の文化の豊かさに直結する深刻なテーマなのです
こうした課題が積み重なれば、いずれ地域から音楽が消えてしまいます。習いたい子どもはいるのに先生がいない。音楽で生きていきたいと願う若者はいるのに、働ける場がない。音楽を愛する人が大勢いるのに、その想いを支え、つなげる仕組みが弱い――。そんな矛盾を放置すれば、日本の音楽文化そのものが少しずつ痩せ細っていく危険性すらあります。
ぼくが河合楽器を離れる決断をした背景には、このような業界全体の構造的な問題をどうにかしたい、という強い思いがありました。

ピアカケ〜未来へ橋を架ける挑戦〜
だからこそぼくは、「ピアカケ」 という活動を始めました。名前には「ピアノに架ける」だけでなく、「人と人を架ける」「未来に橋を架ける」という思いを込めています。この言葉を選んだのは、ぼく自身が営業の現場や先生方との対話を通じて、音楽は単なる演奏技術ではなく、人の人生や地域の文化をつなぐ“架け橋”になると何度も実感してきたからです。
ある家庭ではピアノが親から子へ受け継がれ、またある教室では先生から生徒へ、世代を超えて想いがつながっていく。そうした瞬間を目にするたびに、「音楽とは人を孤独から救い、人と人を結びつけ、未来に希望を残していくものだ」と強く感じました。ピアカケという名前は、そうした体験を一言に込めたものなのです。
そしてこの活動を通じて、ぼくが大切にしたいのは「挑戦する人が孤独にならない仕組み」をつくることです。どんなに情熱を持っていても、支える仲間や環境がなければ続けることは難しい。だからこそ、音楽を学んだ人、教える人、応援する人、それぞれをゆるやかにつなぎ、互いの思いが橋のように重なっていく場を育てていきたい。ピアカケ という名前には、そんな未来への祈りと決意が込められています。
ピアカケの使命は、ずばり「音楽を仕事にする選択肢を広げること」です。音大生や卒業生が安心して挑戦できる環境を整えること、ピアノ教室と若手人材をつなぐ仕組みをつくること、そして地域に根付く音楽文化を絶やさない取り組みを広げること。こうした活動を通じて、「音楽を学んだからこそ、未来が拓ける」と若い世代が胸を張って言える社会をつくりたいのです。
将来的には、この取り組みを一部の地域や教室にとどめるのではなく、日本全国へと広げていきたいと考えています。まずは各地の先生や音大生と連携し、地域ごとの課題に即した仕組みを整える。3年後には主要都市だけでなく地方でも若手が活躍できるネットワークを築き、5年後には「どの地域に住んでいても音楽を学べる」環境をつくりたい。ピアカケを通じて、日本のあらゆる地域に音楽の灯を絶やさず、次の世代へとつなぐことを目指しています。
ぼくが描いている未来は、決して夢物語ではありません。想像してみてください。町のあちこちからピアノの音が聞こえ、子どもたちが楽しそうに練習している。若い先生が自信を持ってレッスンを行い、保護者も安心して子どもを預けられる。音大を卒業した人が「音楽で食べていける」と胸を張れる。高齢の先生が「次の世代に任せられる」と笑顔でバトンを渡す。その風景は、必ず実現できるものだと信じています。
もちろん、この挑戦はぼく一人では成し遂げられません。だからこそ、この記事を読んでくださっているあなたにお願いがあります。もしあなたが音楽に関わってきた人なら、その経験をぜひ若い世代に伝えてください。あなたが歩んできた道は、後に続く人にとって大きな道しるべになります。もしあなたが音大生や卒業したばかりの若手なら、諦めずに挑戦してください。確かに壁はありますが、仲間と仕組みがあれば必ず超えられるとぼくは信じています。もしあなたが保護者やリスナーなら、地域の教室や演奏会を応援してください。その一枚のチケットや一言の「ありがとう」が、先生や若手の背中を押す力になるのです。
河合楽器を離れるという決断は、ぼくにとって未来への第一歩でした。安定を手放すことは怖かったけれど、それ以上に「このままでは未来は変わらない」という確信がぼくを動かしました。これからもピアカケは、音楽の可能性を信じ、仲間と共に挑戦を続けていきます。
未来は必ず一緒につくれる。そう信じて、ぼくは歩み続けます。


